世阿弥に魂を奪われた男と女が辿る数奇な運命。「砧」に魅入られ、スターの座をすべりおちていく男の破滅への道程を描く「元清五衰」など妖しいまでの美意識に充ちた待望の連作五篇。 「元清五衰」「日輪の濁り」は、世阿弥、能についての知識や教養がなくても引き込まれる作品ですが、読後に世阿弥と砧について少し調べてから読み直したら、更に作品のおもしろさと奥深さがわかりました。 「元清五衰」は“砧”の魔力にはまり突き詰めていくスター俳優の元清と、その役者の演技に魅せられた青年・敦夫の話で、「日輪の濁り」は二人がドサまわり中に関わった女系家族との話で、どちらも『世阿弥』『砧』という題材を赤江ワールドへ昇華されている見事な短編だと思います。 他、三作品は短編としておもしろいものだと思いますが、『世阿弥』の世界とどう絡んでいるのかが読み解けなかったです。 ムリヤリに『世阿弥』の残した言葉を作中につけたような感じだし…。 自分には正直今ひとつでした。 『元清五衰』を読んでいて思ったのですが、12歳の世阿弥と室町将軍足利義満との出会いを赤江先生に小説化してほしいと思いました。 12歳の美童「鬼夜叉」のちの世阿弥と17歳の将軍義満の出会いって、凄く引きつけられますよ。 『元清五衰』の中で、元清が「美の実像がやすやすと、とっつかまるか。勝手に想像してりゃいいんだ」という事を言っているのですが、もうほんっとにその通りだと思うのですが、想像するしか能の無い凡人の身としては気になりますって。 赤江先生ならば、幽玄の中で出会ってしまった時代の寵児ふたりを美しく表現してくれる筈。 下記は『世阿弥』『砧』についての簡単な解説です。 『遠臣たちの翼』読む前後、どちらでもお好きな時に参考にしていただけるかと。 世阿弥〔ぜあみ、せあみ〕日本の室町時代初期の猿楽師。 父の観阿弥(觀阿彌陀佛)とともに猿楽(申楽とも。現在の能)を大成し、多くの書を残す。 観阿弥、世阿弥の能は観世流として現代に受け継がれている。 幼名は「鬼夜叉」、そして二条良基から「藤若」の名を賜る。通称は三郎。実名は元清。 世阿弥は幼少のころから父の一座に出演していた。 1374年または1375年、観阿弥が今熊野で催した猿楽(申楽)能に12歳の世阿弥が出演した時、室町将軍足利義満の目にとまった。 以後、義満は観阿弥・世阿弥親子を庇護するようになった。 砧〔きぬた〕は、世阿弥作といわれる能楽作品。成立は室町時代。 夫の留守宅を守る妻の悲しみが描かれており、詞章、節づけともに晩秋のものがなしさを表現して、古来人々に好まれてきた能である。 題名の「砧」とは木槌で衣の生地を打って柔らかくしたり、つやをだしたりする道具のこと。 この作品では、女主人公が砧を打つことが情念の表現になっている。 遠臣たちの翼〔赤江瀑〕 元清五衰 躍れわが夜 春睡る城 しぐれ紅雪 日輪の濁り
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